私たちが考える「伝統」との向き合い方

「伝統」という言葉を聞いて、皆様はどのようなイメージを浮かべるでしょうか。

古くから受け継がれてきた文化、あるいは研鑽を積み、洗練された素晴らしい技術といった、どこか「格好良く、重みのあるもの」を感じる方が多いかもしれません。

確かに、伝統とは優れた技術や歴史の積み重ねがあったからこそ、尊いものとして現代に残されているのだと思います。しかし、今の世の中を見渡すと、その「伝統」という言葉が、本来の意味を離れてただ便利に消費されているだけのように感じることがあります。

素晴らしい歴史や技術が詰まった言葉だからこそ、都合の良い時だけ使われ、中身が伴わないまま形骸化していく。そんな現状に、強い危機感を抱いています。

目次

都合の良い時だけ使われる「伝統」という免罪符

今の世の中を見渡すと、「伝統」という言葉が本来の意味を離れ、ただの便利なラベルや言い訳のように消費されている場面がとても多いと感じます。

例えば、商品の価値をそれらしく見せたいときに「日本の伝統」や「日本刀の切れ味」といった言葉を添えたり、製作工程のルールに無理やり根拠を持たせるために「昔ながらの方法」「伝統的な作り方」という言葉を使ったりするケースです。

もちろん、その言葉に見合った商品やサービスが提供されていれば表現としては全く問題ないはずですが、その言葉の裏側に、どれほど歴史に対する敬意や、技術的・科学的な裏付けがあるのかは非常に疑問が残ります。

特にここ最近の庖丁業界においては、中身が伴わないまま先人たちが命を懸けて積み上げてきた「歴史」を、単に利益やビジネスを有利にするための道具として使い捨てているように感じてなりません。

伝統と成長は常にセットでなければならない

伝統とは、先人たちがその時々の限界に挑み、試行錯誤を繰り返してきた「努力の結晶」であると考えています。

それなのに、現代を生きる私たちがその名前に甘え、ただ過去をなぞるだけで成長を止めてしまうのは、先人たちへの敬意を欠いているのではないでしょうか。

もちろん現代でも、常に成長し続けている方々はたくさんいるでしょう。

しかし、現在の庖丁のように世界中で人気が出て「数が出る」ようになると、どうしても短期的な利益を優先する動きが業界全体として強まってしまいます。

品質や手にしたお客様がどう感じるかという「その先」のことよりも、いかに数を売るかという表面的な効率や数字ばかりが追い求められてしまうのです。

そうした状況に甘んじて、新しい挑戦や技術の向上を放棄することが、本当に「伝統を守る」ことになるのか。

そうは思えません。

「新しい挑戦」の積み重ねが次の伝統になる

新しい一歩を踏み出し、成長を続けるためには、常に自分の行動を客観的に判断し、今の自分と真っ向から向き合い続けなければなりません。

それは時に、これまで積み上げてきた過去が「無駄だった」と突きつけられたり、すべてが覆ってしまう可能性を受け入れることでもあります。

例えば、ある工程が現代において実は合理的ではないと分かったとき。

それでもなお無意味に継続し「これが伝統だ」と言い張ることに、果たしてどれほどの価値があるのでしょうか。

それが本当に、未来へと続く伝統を守る行為になり得るのか、私たちは真剣に考えなければなりません。

だからこそ、伝統を背負うという行為には、どんなことも受け入れて作っていく「覚悟」と「責任」が伴うのだと思っています。

伝統とは、ただ守られるものではなく、今を生きる自分たちが自ら作っていくものです。 常に挑戦を辞めず成長し続けること、その姿勢こそが未来の伝統を築いていくのだと信じています。

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